華々しき鼻血。信onプレイ日記@群雄伝


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  曉 影尾
曉 影尾
群雄でヒッソリコッソリ活動中。

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なんだかなー。

物事には最低限の礼儀は必要だと思います。

やたら長文です。信関係ないので興味ない人はみないほうがいいかもめ(’’


村上龍のエッセイ集「ダメな女」について、この本の中の「『仲間』は決して『友達』ではない」という箇所を読むためだけでも、お金を出して手に入れる価値は充分にあると申し上げたいと思います。
ずっと私が文章に出来ずに悶々と腹にためていたどろどろしたものを、龍があたかも目の前で「ほれ」と、さしずめ麗しい蓮の花にでもして見せてくれたかのようなすがすがしさ。

まず龍は、「仲間」と「友達」は根本的に違うものであると定義づけた上で、


「仲間内では、基本的にグループ全体への「批判」が許されない」
「仲間は努力が要らない。仲間モードに自分を合わせるだけで、一体感を楽しめる。自分一人では友達を作れない人間が仲間内で群れる」
「友達の欠点は、つき合うのに神経を使うことだ。お互いを認め合うための努力が必要になる」


と、その差を冷静に暴いています。
友達と仲間は全くの別物。そう言われて私も初めて気がつきます。

さて龍も指摘している通り、女には自力で友達を作れるタイプとそうでないタイプというのが確かに存在するなと、これは私もはっきりとそう思います。
しかしここが厄介なんですが、何故だか後者のタイプの女の方が、「友達」であると自分が勝手に認識している人の数だけはやたらと多かったりするのです。
だから彼女らは自分が後者のタイプであることにまず気付くことが出来ません。

こうした女にどうして「友達」(もちろんこれは龍言うところの「仲間」に過ぎないわけですが)の数だけはやたら多いのかと言えば、それは前者のタイプである、「自分が中心となって自分の周りに人が集まってくる女性」に接近し、小判鮫のようにひっつくことが彼女らの習性になっているためなのでした。
自分の力で友達を作ることが出来ないことを心の奥底では自覚しているのか、潜在的な不安ゆえ、彼女らは一人ではあきたらず複数の中心女性のグループに接近し、袖擦り合う相手を増やすことに余念がありません。

やたら「メールまめ」になるのは、ですからこういうタイプの女です。
グループの中から気に入った相手を見つけては、何とか個人的に仲良くなるべく必死でメール攻勢をかけるのです。曰く、
「これからもどうかよろしくね^^」
「美味しいお菓子の店を発見しました!今度2人でお茶でもしない?」といった調子。
この「2人で」というのがミソです。
○○さん(中心女性)とは関係ないところで、私たちは私たちでお互いに気に入って仲良くするんだから、と精一杯の主張をしたいわけですが、気に入られて熱心に誘われた相手は内心困惑しているという事実には全く気がついていません。
そりゃあそうです。特に意気投合したわけでもない相手が唐突にツーショットでのデートを持ちかけてくるんです。
「2人で」? ○○さん抜きで? えー、何か気まずいなあ。
何話したらいいんだろ。正直気が重いんですけど……といった具合

空気が読めないのに加え、こういう小判鮫タイプの女は自分という人間のポジショニングというものがまるでわかっていない(もちろん実際よりはるかに高く自分を値踏みしている)(むしろ自分を中心女性の参謀ぐらいの位置にあると思いこんでいる)のが常ですので、場を凍りつかせるような「?」な言動を繰り返し、結局どこのグループでも内心あまりよく思われていないのが実際のところだったりするのです。

さて逆に、自分が人間関係の中心になれる女というのは肚がすわっているため、こうした小判鮫タイプの女が自分のポジショニングを勘違いしてじたばた暴れ始めても「ああもう、うっさいなー」と落ち着き払ったものです。
万が一面倒な揉め事になって、私の周りから一人残らずいなくなったとしても、まあその時はその時だ。と、いちいち焦ることもありません。
放っておいても自分にはどうせまた人が集まってくることを、無意識のうちにわかっているからです。(そして当然、そんな彼女の回りから人が消えることなどないのでした。)

「仲間」ではない、真の「友達」同士になれるのは、実はこの「人間関係の中心に立てる女」同士なのではないか……、と思ってみます。
小判鮫タイプの女と違って、小心な気持ちからおどおどと人の集まりに自分から寄って行く必要のない彼女らは、いくら仲が良くても互いにベタベタすることは決してありません。
会話も時としてシビアなものになりがちなため、回りで聞いている人を時としてハラハラさせることもあるものの、互いを信頼してのことなので当人同士はまるで平気なものだったりします。

私としては、「ひとりでいても十分楽しい」私の時間を、あえてその人のために割きたいと思える相手、逆に相手の貴重な時間を割かせることに対し、ずっしりと責任を感じざるを得ないような相手とだけ遊ぶようにしたいものです。
そしてそういう相手が私にとっての「友達」であり、それ以外は押しなべて「仲間」ということになるのでしょう。

大人になると友達が出来にくくなるというのは、悲しいですがある意味事実だなと思います。
社会に出てから知り合う人というのは、会社とか、奥さんだったら団地とか、そもそもがその場の雰囲気を保つことを第一に尊重せねばならないグループの中での出会いになるため、いくら気が合ったとしてもどうしても「仲間」にしかなれないことが多いのではないでしょうか。
会話が大方、グループ内の誰かの悪口に終始するのが、その何よりもの証拠かと思います。

では友達をつくるにはどうすればよいのかって話ですが、これはもう「カリスマのない女に未来はない」という身も蓋もない結論で終わるしかないような気がします。
人間には確かに努力も必要ですが、努力して何でも手に入るかというとそれは大きな間違いであるというのは、やはりはっきりさせておいた方が良いように思います。
とりあえず「自分から矢を放つ」クセを治したらいいのではないか、などとそれでも中途半端に親切心を発動して思ってみたりします。
そのー、やたら「これからもよろしくお願いします」メールをやたらあちこちに投げるのをすぱっとやめてみな、と。
どっしり動かず、自力発光を念じることでしか、女は己がカリスマ性を獲得することは出来ないと私は固く信じているんですが、いかんせんもともとの人間力が不足した人がこれをやると、単にいよいよ孤立するばかりになりそうで、えーっと、やっぱりうかつにお勧めは出来ないか。


ダメな女につける薬はないと思いつつ、ダメもとでせめて「ダメな女」は読みましょうと、ここはひとつすべてを龍頼みにして終わっておくことにしましょう。こんな時プロフェッショナルの存在を心からありがたいと思います。


では、またいつか(明日)


日々 | C(0) | T(0) | 2008/03/13 23:52 |  

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